モノクロームの街の中、君だけは色を持っていた
(だからきっと、オレはお前に惚れたんだ)
空が茜色に染まるころ。のんびりと道を歩いていた。
桜の花はすでに散り、木々の緑が美しい季節になって、吹く風は爽やかに感じる。
入学してから約一ヶ月ちょっと。
高校という新しい環境にも、ようやく慣れてきたところだった。
人によってはこの時期、五月病などになるそうだが、そういった傾向もなく。
そんな穏やかな学校帰り。
(……、ん?)
急に視線を感じた。
いや、視線というものを具体的に感じ取ったわけではない。
ただ誰かに見られているような感覚。
くるりと振り返った。太陽が眩しい。
振り返った先には、男が一人立っていた。
男の背景にある大きな夕日が、その存在をさらに強調している。
逆光で顔がよく見えない。ただこちらを向いているのは確かだ。
(…うっわ……)
これは何だかヤバそうだ。とっさにそう思った。
何故かといえば、暑くもないのに汗が流れるのをしっかり感じたからだ。
本能が“危ないぞ”とサイレンを鳴らしたのだ。
振り返ったことを後悔した。しかし、しても仕方がない。
とにかくスルーしようとが踵を返せば、男に声を掛けられた。
その一瞬だけ足を止める。ダメ。聞こえない聞こえない。
自分自身にそう言い聞かせて歩く。
「オイ、無視してんじゃねぇよカス」
「…………」
そのまま上手くスルー出来ましたと、めでたしめでたしで終わってくれればよかったのに。
人生はこうも上手くいかないものらしい。
爽やかな気分は何処へやら、今はひたすら最悪だった。
男は明らかにを引きとめようとしている。
話し方からして、男の態度のでかさはよくわかった。上から目線もいいところである。
本能どころではない。理性で考えても、何だか危なさげなのはわかる。
尚更、関わりたくないと心から思った。
(――こうなったら、)
三十六計逃げるに如かず。
昔の人は、本当にいい言葉を残してくれたと思う。
なんの前置きもなく、すごい勢いでは駆け出し、ひたすら家に向かった。
「待て!」
男の声がしたが、そんなの聞いてられるかってんだ。
***
この奇妙な出会いから数日前のこと。
ザンザスはここから少し離れた場所で、意識を回復した。
といっても、気付いたらそこに立っていただけなのだが。
そうしてから、まず最初に感じたのが戸惑いだ。
どうしてこんなところにいるのか、ということである。
クーデターを起こした。が、失敗した。それはわかっていた。
最も記憶に新しいことであるからだ。
父親だと思っていた赤の他人は、ギリギリまで追い詰めたところで、自分が知らない攻撃手段を繰り出した。
思い返すだけで腹が立つことこの上ないのだが、先に記憶の整理が重要だ。
それにより、確か氷が己を支配し出したところまでを覚えている。
その後、気絶したのか氷漬けになったのか、それとも死んだのか。
自分自身では到底わかることではない。
……はずだった。到底わかることではない、と判断しようとした。
しかし、ふと下を見たザンザスの目に映ったものは、嫌でもある確信を抱かざるを得なかった。
――己の足が、透けていたのだ
よくよく見れば足だけではなかった。
手も身体も、目に入る自分の身体全てが半透明なのだ。
思わずどういうことだ、と口に出しても何の発展はなく。
周りにいる人間(アジア人だ。日本語を話している)は、ザンザスのことなど知らん振り。
ザンザスはお化けやサンタクロースなど微塵も信じていなかった。
だがどうだろう。はしゃぐ子供が、自分の体をすり抜けて行く感覚は。
子供たちは立ちつくすザンザスを避けようとすらしなかった。
ザンザスがそこにいることにすら、気付いていないのだ。
茫然と、遠のいて行く子供を見ながら、ザンザスの思考はあるところに辿り着いた。
なぜ、身体が透けているのか。
答えはきっとこれしかないのだろう。ザンザスは心底嫌そうな顔をした。
とはいえ、これが答えなのならば、周りのアジア人がザンザスに反応しないのも説明がつく。
勿論、子供がすり抜けたことも。
おそらく自分は死んだのだ。
そして幽霊になったに違いない。だから誰も気付かない。否、見えていない。
加えて、幽霊であるからこそ、こんな見も知らない場所に立っているのだ――と。
認めたくないものを何とか受け入れようとして、ザンザスはしばらく立ったままだった。
しかし、行動を何もしないでいるわけにもいかない。
試しに近くにあったベンチに手を伸ばした。手は宙を掻いた。
ああ、想像通りだ。物体に触れることが出来ない。
他の物にも触れようとしたが、全て無駄に終わった。
物に触れられないということはよくわかった。
誰も自分に気付かないというのもわかった。
しかし結論として、大きな問題があった。
憤怒の炎すら出ないというのは如何なものか。
いくら力を込めようとも、いくら怒りを露わにしようとも、その掌はうっすらと地面を映すばかりだった。
両手の憤怒の炎。それだけが、自分が自分である証のようなものだったのに。
特別が排除され、普通となってしまった己の手を見、ザンザスはその事実に絶望した。
それから彷徨うように町を歩き、太陽が何度か沈んでは昇るのを見送った。
そして、太陽が今まさに沈もうとしていた時。
その目に自分の姿を捉え、その耳で自分の声を聞く人物と出会ったのだ。
走り出した女を追いかける。
――逃がすわけには、いかなかった
***
走って走って、走って走って、ひたすら走った。
もしも追いかけられていたら、と考えると怖かったので背後の確認はしていない。
自分以外の足音がないところから、おそらくついて来てはいないと思う。
しかし、念には念を、だ。
流石に疲れたので、そろそろ歩きたいという願望もあった。
曲がり角にあるミラーで後ろを確認する。角度は斜め前。顔を軽く上げた。
ミラーには、自分以外誰も映っていなかった。
(…………追いかけては、来てない……)
よかった。本当によかった。大きな息を吐いて、乱れた呼吸を整える。
そして、軽い気持ちで実際に後ろを見た。
この時叫びださなかった自分を拍手したいと、今でも思っている。
後ろには、何と例の男らしき人物がいたのだった。
(……っそんな!!)
ただ驚き、そして焦った。サーッと血の気が引いていくのが感じられた。
尋常でないほどの、凍り付くような恐怖。足が微妙に縺れた。
――怖い
は初めて人に対してそう思った。
追ってくる男とジリジリと距離をとり、再び一気に猛ダッシュ。
疲れただとか、歩きたいとか、そんなことを言っている余裕などない。
下手をすれば命の危機かもしれないのだ。
ストーカーに殺される事件はいくつかニュースになっていた。
冗談じゃない。ここで死ぬなんて真っ平ゴメンだ。
の思考は今や、男から逃げ切ることだけであった。
***
男と女の差だろうか。足の長さだろうか。
ともかく、二人の何かによる差は大きかったようだ。
の隣に男が並んだ。は目線だけでちらりと横を見た。
見間違いではない。紛れもなく、男は隣にいた。
あの時は夕日の逆光でよく見えなかったが、かなり怖い顔の男だった。
だが、よくよく見れば何かがおかしい。
はその男を見て、ひどく違和感を覚えた。
男の身体は、向こうの景色がうっすらと見えるくらいの透明度だった。
これはどう考えても、普通の人間ではない。
そう思ったとき、最初に感じた恐怖は何処かへ一瞬にして飛んでいった。
(…………幽霊?)
この男とはこれが初対面だ。今まで見たことも、会ったこともない。
その上、男は外人のようである。少なくとも日本人の顔ではなかった。
つまりの知り合いではないということだ。
季節はずれのお盆帰りの幽霊だなんていうことは、まずありえない。
(だったらなんで尚更!!)
霊感の類は、に全然といっていいほどなかったはずだ。
これまでも幽霊が見えたなんて経験は、一度だってしていない。
では、そんな才能が今日突然、しかも下校中に芽生えたとでもいうのか。
(どこの漫画だ!勘弁してくれ!)
理不尽に重なる出来事に、運命すら呪いたくなる始末だった。
***
「わ、たしに、何か、用でも?」
誰かから何か聞かれる、ということが、こんなにも存在の実感をさせるとは知らなかった。
女の様子で、奴は自分の姿を認識していると思った時、心のどこかで安心と喜びを感じたのだが、それ以上だ。
人に対して、怒りを抱かなかったことなど今まであっただろうか。
しかしこの女を見ても、そんな気は一切湧いてこない。
不思議な女だ。ザンザスはこれを世間ではなんというのか、まだ知らないのだ。
女は門に手を掛け、カバンを下に置き息を整えることに必死だ。
勝ち目のない二人鬼ごっこの負けを認めず、この家の前に来るまで走りっぱなしだった。
ここはおそらくこの女の家なのだろう、と勝手に予測を付ける。
肩で息をするくらいなのに、途中で止まりもしなかったその体力と精神力は中々見事なものだ。
だが、ザンザスは自分がストーカー紛いな行為をしたことに気付いていない。
「……オレが見えるようだな」
「見えなきゃ、尋ねたり、なんてするわけ、ない、でしょーが」
睨むようにキッとした目で、女はザンザスを見た。
媚びる様子や恐れる様子がない強気な態度は、一見人並の女の魅力を上げる要素となった。
ザンザスがそう思ったことを後の彼女が知ったら、幽霊に媚びてどうすんだと厳しく批判しそうだが。
目の前の女のどんな様子もザンザスは腹が立たなかった。
むしろ色々な表情が見れて、しかも得な気がするのは何故か。
何度も何度も不思議だと、内心考える。
「……どうやら、カスじゃねぇらしい」
「……は?」
独り言のように呟いた言葉を女に聞き返された。
そんな当たり前のことが、嬉しく思えてとても困る。
「なんでもねぇよ」
女の息が平常に戻りつつあった。
「……ともかく、用もないのに私について来ないで下さいね」
「…………あぁ」
その言葉の裏をとり、ザンザスは女が家に入って行くのをただ見送った。
それから自分が物に触れられないことを利用して、音もなくその家に侵入。
次に二人が会うのは、彼女の部屋の中でのことだった。
部屋のドアを開けると、先程まで自分を追いかけて来た幽霊がどーんといれば、誰だって驚くだろう。
「ちょっ、な、な、なんで!!」
「うっせぇ。用さえありゃ来てもいいんだろうが」
「来てほしくないよ!」
「そうは聞こえなかったな。日本人には二言がねぇはずだ」
「そんな決まりないし!間違ってるし!つーか、お前やっぱり外国人か!!」