差し出されたそのには、一片の打算もなく

(こんなことは初めてなんだ。…それ故に、戸惑ってしまう)




この季節。日が落ちるのは、まだそれほど早くない。
たれそかれ、というには少し明るい通学路。
は俯き加減でとぼとぼ歩いていた。
いつもの元気がなく、どこか落ち込んでいるようだ。
しかしその理由はシリアスなものではなく、どちらかといえば自業自得。


「ダメだ。英語ってなんだろうね」
「言語の一種だ」


そんなの隣を歩く、透けた体のザンザス。
彼は数か月前から勝手にの背後霊となってる人である。
大抵の目に入るところにいるから、背後じゃないのだけれど。
ザンザスは数歩歩くごとにため息を吐くの様子に不快そうな顔をする。


「知ってます。それにしても面白くない回答だなぁ…3点」
「死ね」
「はいはい、ザンザスに冗談を期待した私が愚かでした。
 むしろザンザス冗談とか言うの?みたいな。言わないよねー。
 1回も聞いたことないよねー、私。 あれ?1回くらいはあったっけ?ない?
 ないかー。やっぱりねー。そうだと思ったー」
「…………(このアマ)」


ザンザスはムスッとした顔で、から目を逸らした。
これまで口でに勝ったことはなかった。
ザンザスの態度は無言でありながら全てを語る。
ちょっとわかりにくいのが難点だ。だから正解するとなんだが嬉しくなる。
人の感情をクイズにすんじゃねぇ、といつか怒られそうだ。
とりあえず、眉間の皺の数で判断するのが一番良い。
たくさんだったら怒っているし、少なかったら不機嫌、といった具合だ。


「テスト勉強しなかったからなー。ザンザスは宿題手伝ってくれないし」
「それくらい自分でやれ」
「無理ける」
「……なんだ、その『ける』は」


ザンザスは冷めた目線を寄越した。呆れ顔は最近よく見る。
それだけが呆れられているということなのだが、まあそれは別として。
喜怒哀楽の中でここまで偏った人も珍しいのではないだろうか。
そのうち笑顔も見れたらいいのにと思う。


「私が作った動名詞。中々いいでしょ」
「どこがだ」


褒めて、と遠まわしに言えば、バカだろ、とこれまた遠まわしに返された。
あえてボケるに、一刀両断のツッコミが出来るザンザス。
なくても良かったはずのこの才能を開花させたのは、紛れもないだった。
お陰でザンザスと会話するのがとても楽しい。


「でもテストが…まっさか赤点だとは。初体験だよ。人生初の赤点。
 今日の追試はイマイチの出来だったし…ハァ」
「カスだなテメェは」


思い出してしまったぜ。どうして落ち込んでいたのかを。(なんかゴロがいいね)
つまり自業自得というのはこういうことだったのだ。
中学の頃から苦手であった英語は、高校でも苦手のままであり。
返還されたテストを見て、今回自分が赤点組に属したことを知らされたのだ。
問答無用の追試を受けたものの、その結果がまた悪ければ追々試である。
(それだけは嫌だ)(だってメンドクサイんだもの)


「日本語が読めないザンザスくんに言われたくないです」


己が努力を怠って、その結末としてこれなのだから受け入れざるを得まい。
しかし先程のカス発言はどういうものか。
(いやそれを言ったら今更なのだが)(カスとはザンザスの口癖みたいなものだ)
腹いせにとばかり、ハッキリと単語を区切りながら言い返した
ぶっちゃけザンザスに出来ないことがあると知っているのは、これだけだった。

(鉄棒のだるま回りとか出来んのかな)
そんな感じで全く別なことも同時に考えてしまう。
だがそれを想像したら泣きたくなった。鉄棒でぐるぐる回るザンザス。
(……逆に出来て欲しくない)


「テメェは英語すら話せねぇだろうが」
「私はアレだよ。フィーリングだから。何となくで読み取るから平気なの」
「ほう、試してみるか?(ニヤリ)」
「無理ける」(即答)


カンマ何秒という早技の即答に、ザンザスは企みのある笑顔のまま固まった。
(あ、この言葉使いやすい。私の辞書に『断りたい時の咄嗟の一言』として載せておこう)
それからザンザスは標準より三割増くらいの皺を眉間に作る。
微妙に怒っているな、とは判断した。きっと間違ってはいまい。


「うぜぇな、それ」
「そうでもないよ。意外と便利で困っちゃう」
「勝手に困ってろ」
「ザンザスも使いたかったら私に許可取ってね」
「一生使いたくなんねぇから安心しろ」
「あー安心した。すっごく安心した」


ケラケラと軽く笑いながら、ふざけて胸を撫で下ろす真似をした。


「…てめぇ……」


ピクリ。
ザンザスの青筋が、傷のある額の端に登場。
やーいやーいと、更に煽るように笑い続けるは心底楽しそうな表情だ。
それを見て、ザンザスは苦虫を噛み潰した顔をする。
だがそれだけだ。怒鳴ったりすることなど、これまでに一度もなかった。
ザンザスがに対して本気の怒りを見せないのは、怒る要素がないからである。
つまりもっと簡潔にいえば、惚れた弱みなのだ。
しかし、そんな熱を冷ませとでもいいたげに、雲が動き出した。


ぽつ、ぽつ…

の肌に冷たい水の欠片が落ちてきた。


「ん、雨?」


空を見上げる。
気付かないうちに、空は黒雲で覆われていた。

ぽちぽつ、ぽつぽつぽつぽつ…

乾いたアスファルトを潤す粒が、徐々に増えてくる。


「……降ってきやがったか」
「天気予報、大当たりだね」
「傘は?」
「あるよ、ホラ」


カバンからお目当ての物を取り出し、カシャンカシャンと広げていく。
小さい水色の折りたたみ傘。
今朝の天気予報を聞いて、カバンに入れたものだった。

だが所詮は折りたたみ式。いっぱいに広げたところで一人分だ。
ザンザスは段々強くなってきた雨の中、少し離れた場所での様子を見ていた。
近寄って来ようとしないザンザスに気付いては言う。


「何やってんの。こっち来なよ」
「オレは濡れねぇからいいんだよ」
「全然よくないでしょ。おいでってば」


確かに雨はザンザスを通り抜け地面に当たっているが、そういう問題ではない。
小さい傘でも二人入れるように、は横の方にズレた。
肩が少し雨に当たるが、気にするほどのものではなかった。
ちょいちょいと手招きをしてザンザスを呼ぶ。
しかし彼は中々こちらに来ようとしない。
今度はが眉間に皺を寄せる番だった。


「なんで来ないのさ」
「行く必要がねぇだろ」
「あるよ」
「ねぇ」
「……じゃあいいよ、もう」


痺れを切らしてはザンザスに近寄った。
てっきりが背を向けて帰るだろうと思っていたザンザスは驚く。
はひょいと傘を高めに上げて、ザンザスを中に入れた。


「一緒に帰ろ?」
「……しょうがねぇな」


ザンザスが少し屈むようにすると、は傘をその分だけ下げた。
横を見ればがいつもより近くにいる。
嬉しさと照れで顔にうっすらと赤みが走る。
それを見られないように、ザンザスは手で顔を隠した。






「(雨が肩に…)オイ、もっとこっちに寄れ」
「別に大丈夫だよ」
「いいから寄れ」
「……はいはい」

(しまった!もっと近い!!)
(……離れてやるべきか?これ)