暑くてかいわたけでないその汗は、朝から気分を憂鬱にさせた。
髪とパジャマが肌に張り付き、独特のぺったりとした粘着性が一層のことそうさせたのだった。
カレンダーの日付は青。今日は土曜日だ。学校がないだけ有り難かった。
ゆっくりベットから下りて行動を開始する。
何も考えずに動く方が、気が紛れていいかもしれないと思いながら。
洋服に着替えて顔を洗い、髪を梳かす。
いつもと同じリサイクルで一日を始める。
朝食の前に郵便物を確認するのを忘れない。玄関へ向かった。
がちゃりとドアを開ける。眩しすぎる朝日が目に沁みた。
そして前に出そうとした足は、目の前にある障害物を見つけて止まった。
また変な汗をかきそうだ。頭が痛くなる。
ドアが開く最低限のスペースをあけて、その先に人が倒れていた。
どういうことだろうか。その少し先にある小さな門はぴっちり閉じていた。
門の隣に設置してあるインターフォンが鳴った覚えはない。
倒れている人に少しばかり近づいた。
うつ伏せで顔は見えないが、おそらくまだ若い。
真黒な黒髪が朝日にあたって艶やかに光る。
バラつきはあるが耳が隠れるくらいの長さで、髪が風にさらりと揺れる。
こんな状態でなければ世界が嫉妬しそうである。
同じ色の髪を持つでさえ、羨ましいと思うくらいなのだ。
しかしその人の骨格は角ばっていてどうにも女性には見えない。
服は上下とも黒。そして袖はどちらも長い。
黒が好きなのかもしれないが、夏も近づくこの季節には少々暑そうな格好だ。
は家の中へ携帯を取りに戻った。
救急車を呼ぶか、警察を呼ぶか。とにかく連絡手段が必要なのだ。
全身真っ黒、(たぶん)男、(おそらく)不法侵入。
これはおそらく自分の手には負えないと判断した。
再びドアを開けたとき、残念ながら先ほどと何も変わらない状態だった。
せめて男が死んでいるのかどうかの確認だけでもと、嫌々ながら手首に触れる。
仄かな体温とトクンと巡る血液。
それにしても低い体温にぞくりとしたが、相手が生きていることに少し安堵する。
呼ぶならば救急車かと、は携帯のボタンを押した。
自分でも怖いくらいに冷静だと思った。家の前に人が倒れていてこの態度。
―― ああ違う。冷静なわけではない。
頭を振って小さく自嘲する。
騒ぎ立てても、奇跡など何も起こらないのだと知っているだけだ。
こういうのは、冷血というのではないか。
人が倒れていても、駆け寄るどころか心配もしないのだから。
トゥルルとスピーカーの向こうで鳴る電話を耳に当てる。
1コールが鳴るか鳴らないかくらいで、すぐに向こうは電話に出た。
消防か救急か、という問いに、倒れている人がいるので救急車を一台と言おうとした。
しかしが言葉を発する間もなく、電話は切れた。
「え、……」
いや切られたといってもいい。少なくともは電源ボタンを押していなかった。
消防署が切ったというのか。まさか。それは酷すぎる。
だが他にないだろう。非情な世の中に驚きだ。
電話をまじまじと見つめる。消防署が腹立だしく感じた。
乱暴に携帯を閉じる。
自分以外の声が耳に入ってきた。男性特有のテノール。
「どこに、連絡をした……」
気付けば、倒れていた人は具合が悪そうに、地べたに座り込んでいた。
顔色もかなり悪い。だがそれ以上に目つきも悪い。
も決して穏やかな眼の形はしていなく、むしろ切れ長だと両親に言われたが、彼はそれ以上だ。
そしてその目には警戒心がありありと見えて、は首を傾げる。
てっきりその具合の悪さに助けを求めて玄関先まで入って来たのかと思いきや、そうではないのだろうか。
「消防署。何故か切られたけどね」
「……そうか」
その人はフラフラと危ない足取りで立ち上がろうとする。
はズボンのポケットに携帯を突っ込み、彼の支えに入った。
「えっと、タクシー呼ぶ?」
その人はふるふると首を振った。数歩進むごとによろけそうになっている。
手を当てて気付く。幾分とひょろい。
そしてまだ少年という言葉が似合いそうな年齢。間違いなく10代だろう。
どうしてこんなところに、と疑問を抱いた時、ずしん、と急に腕に重みを感じた。
横を見れば少年が意識を飛ばしている。
悔しいくらいに艶やかな黒髪は、脂汗によって頬に張り付いていた。
ああ、あのとき消防署が電話を切らずに話を聞いてくれて、救急車を寄越してくれれば良かったのに。
だが今はそうもいってられない状態だ。
もし再び電話をかけるにも、この少年を支えたままでは不可能だった。
ぱっと見たところで少年に怪我はない。額に手を当てたが熱もなさそうである。
貧血だろうか。彼の顔はひどく青い。
は、少年の腕を自分の肩に回す。
何かあったら今度は警察にかけてみよう。そうしよう。
実は消防署のことを根に持っていただった。
は足と腕に力を込め、よいしょと少年を家の中に運び込んだ。